「自らが架け橋に」子供達と野球に懸ける想い

「自らが架け橋に」子供達と野球に懸ける想い

福岡から岩手へ。帰郷の理由

ー 退団後は福岡県ではなく、なぜ岩手に戻ろう、岩手で働こうと考えたのですか?

三浦:福岡は魅力的な街でしたね。現役でやってる時からそう思ってましたけど、でも今となっては住むのは若い時だけでいいのかなとは思います。もしも現役を10年やれたとしても、引退したら絶対帰ってきていましたね。それくらい地元が良いなと思います。都会にはいろんな魅力があるけれども、岩手の田舎の方が自分的には落ち着く部分があるといいますか。

具体的な理由は難しいですけどね。お店も明らかに少ないですし。でも、小さい頃からお世話になった人達や、小さい頃からの付き合いの人達など。自分にとって凄くありがたいと思える人たちがたくさんいたので。そんな人たちがたくさんいる地元が好きだなと思ったのが理由ですね。なので、引退後の選択肢は自分の中では岩手しかなかったですね。現役がどこで終わろうとも帰ってくる気持ちは変わりがなかったです。

なので今度は自分が送り出す番。岩手の一員として、岩手のことが好きだなと思ってもらえる子供達を育ててあげられたら嬉しいですね。

三浦翔太、大槌学園、中学野球
故郷大槌について語る三浦氏

三浦氏が考える、野球を通した指導

ー 最後に、部活としての野球やシニアリーグなども含めて、これからの野球のあり方についてお聞きしたいです。

三浦:自分達の時はシニアリーグだけでしたが、この辺りだとボーイズリーグが釜石や宮古にもあって、そこに所属している生徒が多いですね。今、大槌や釜石の部活をしている人数が減ってるのも、スポーツ少年団の子達が、ほとんどボーイズリーグに所属していると言う現状からですね。

盛岡でさえ、たくさん学校があるのに、部活としては合同チームがたくさんありますしね。

部活の人数の問題は、自分たちが中学の時よりも深刻になっています。私も部活、シニアのどちらもやっていた身でしたが、私の場合、親と話していたシニアリーグで野球をする条件がありました。「中総体が終わるまでは、中学校の部活最優先。それ以外の時間でシニアの練習とか試合があれば行っていいよ」という条件です。その条件があったので、シーズン中はほぼシニアリーグには行けていなかったですね。

シニアリーグやボーイズリーグに所属する上で心配なのは、部活と外部チームのバランスが中途半端になって、中学校でも変に調子に乗ってしまう子がいないかと言う点ですね。

外部チームと部活のバランス

三浦:外部のクラブチームに所属している子供達を見ていて思うことがありまして。クラブチームで頑張っていても、学校の場でその頑張りを評価してあげられるタイミングがないんですよね。

子供達自身としても、思春期の難しい時期ですし、頑張っていることは褒めてもらいたいし、評価してもらいたいはずなのに。一番頑張っているものが学校の場で見れないという歯痒さがありますよね。

だから学校での活動をちょっと見下したくなる時もあるだろうし、バカにしたくなる気持ちも分かるといいますか。それくらい本人たちも苦しい思いを抱えているのではないかなと、中学生を見てても思うので。凄く難しいなと思います。

現在、ボーイズリーグの子達に声をかけているのは、「ボーイズやシニアが優先でもいい。でも部活も同じ野球だからね」と言うことですね。「部活にも所属するのもOKだよ。部活は普段毎日夜練があるわけじゃないし、部活をすることがトレーニングにもなるし。やりたかったら硬式球使って練習してもいいし。それぐらい、外部チームも部活も、同じ野球なんだから一緒に頑張ろう」と言うことを伝えています。

そう伝えることで、生徒達に野球の時間を共有させてあげたいなと思っているのですが、なかなか難しいですね。

三浦翔太、大槌学園、中学野球、シニアリーグ、ボーイズリーグ
指導の難しさについて語る三浦氏 

ー 外部の指導者さんとの連携も難しいですもんね

三浦:それにはやっぱり学校側も変わっていかなければいけないですよね。でも過去には、シニアリーグ優先の時代があったのも事実だと思います。シニアリーグの指導者的にもプライドもあっただろうし。先生達としても、生徒にバカにされたくない、調子に乗られたくない、と思っていた人もいっぱいいただろうし。

でも、その反面野球人口が減っている事実があります。だからこそ、シニアでも部活でも、野球に興味を持ってくれている子たちが、純粋に野球が上手くなる場。野球を通して学べるチャンスを作ってあげるほうが優先だと思いますね。自分はどちらかというとそっちを大事にしたいなと思っています。もちろん変に調子に乗らないように、シニアの子達が部活でやる時は、部活しかやっていない子たちと同じテンションでやってもらえるように我々も指導しますし。

子供達の未来のため。架け橋となれる存在に

三浦:同じ野球という共通点はあるので。そういった場を増やしていきたいなと思ってます。先生という立場だとちょっと難しいところもあるかもしれないので、その架け橋になれる存在になりたいですね。シニアもやっていて、野球である程度のところまで経験してきた立場の自分が切り開いていかないといけないのかなと思います。自身が年齢的にまだ若いのはありますけど。もう少しいい年になってきた時に、シニアやボーイズの首脳陣の方ともっと交流を持って、岩手県全体で中学校野球の考え方を変えていかないと。子供達が勿体無いなって思いますね。

三浦翔太、澤田俊一、岩手大学、立教大学、光星学院、盛岡大学附属高校
インタビュアー澤田俊一(画像左)と三浦翔太氏(画像右)

対談後。三浦氏の地元愛、馴染みのお店

ー 地元愛の深い三浦さん。仲の良いご友人とは現在はどういった交流をされているのでしょうか?また、お気に入りの地元のご飯屋さんなどはありますか?

三浦:小さい頃に私が住んでいた安渡という地区の周りの場所は、通っていた保育園など全部震災で持っていかれてしまった場所なんですよ。小さい頃よく行ってたスーパーも今はないですし。飲食店や民宿の人たちも、今は場所を移して、新しくできた駅の近くで営業をしていたりしますね。

私の盛附の同級生に、大槌出身の小さい頃から家族ぐるみで付き合いのあった、野球部にも一緒に入った子がいまして。実家が民宿をやっていたんですが、被災されまして。

その人は、今はお母さんと一緒に大槌で「ゑびす」という居酒屋を経営していますね。そこは時間があればよく食べに行ったり、飲みに行ったりします。あとは盛附の野球部の同級生が大槌に釣りをしにきた時には、いつもそこで飲んでいます。そういった繋がりがある場所は嬉しいですね。

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